三山に関するニュース
桂林山水甲天下,三山绳锯誉全球磨料磨具在线, China - 10 hours ago毛建民:三山的金刚石绳锯质量好,价格低。没有理由不去做国际市场。 独秀的山、延绵的水,构成了桂林。 过硬的质量,合理的价格,成就了三山的绳锯。 如果要问一个企 ... |
三山に関する質問
山形の出羽三山神社について教えてください
今年の秋ごろ、出羽三山に行こうと思っていますが、全く知識がありません。月山・羽黒山・湯殿山とそれぞれに神社があるようですが、まわる順番とか、一日でまわらなきゃいけないとか、どんなささいなことでもいいので、関わる情報....
湖東三山の紅葉☆
明日紅葉狩りに行きたいと思っています。大阪からの日帰りで、時間があまりなくて、湖東三山の3つのお寺と永源寺、すべて回ることができません。皆さんのお気に入りのお寺はどこですか?今年の紅葉の進み具合はどうですか?大阪に....
湖東三山のうち一つしか行けないとしたらどこ?
会社の慰安旅行で琵琶湖周辺を計画しておりますが湖東三山のうち時間的に一つしか行けません。それぞれのお寺のこと(お寺の中のことだけでなく周辺の事、例えば門前町やお土産さんの有無等)また皆さんのお薦めがあれば教えて....
湖東三山巡り(その2)
以前ここで湖東三山を巡る旅について質問した者です。http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=241167その後近江鉄道さんにもメールをしたりして最初よりはいろいろなことがわかりましたが、同時に公共交通機関での交通....
白峰三山の単独山行について。
8/11〜19の間で、3泊4日で白峰三山(北岳〜間ノ岳〜農鳥岳)に単独山行を予定しています。1泊目:北岳肩の小屋2泊目:農鳥小屋3泊目:大門沢小屋とかなりゆっくりのペースを考えています。しかし先日も起き....
三山旅行記
スイスドライブ&ハイキング【6】(ロープホルンヒュッテハイキング編) 2004年7月(by red-nontaさん)
スイスドライブ&トレッキングの4冊目。アンデルマット滞在→グリンデルワルドで5泊滞在中の最後のハイキングに選んだのは「ロープホルンヒュッテ」のコース。こちらも天気がよければユングフラウ三山がきれいに見えるとのことなので行ってきました。
スイスドライブ&ハイキング【4】(シーニゲプラッテからフィルストハイキング編) 2004年7月(by red-nontaさん)
グリンデルワルドに滞在中、天気のいい日を選んでシーニゲプラッテ→ファウルホルン→フィルストのコースを歩きました。
日本のハイキングガイドにはスイス人の足で6時間半だから日本人は8時間は見といた方がいいと書いてありましたので、早起きをして電車でグリンデルワルドからWilderswilまで行き、そこで電車を乗り換えてシーニゲプラッテまでのんびりと電車にゆられて到着。シーニゲプラッテからはユングフラウ三山がバッチリ見れて、とてもいい景色です。ハイキングルートも牧場を歩き、ブリエンツ湖とユングフラウ三山を見渡しながら歩くという大パノラマ。たまに雪道になったり、足場が悪いところもありますが、体力があって時間に余裕がある場合は1日かけてゆっくり歩く楽しいコースです。だいたい私たちは現地表示時間と同じ6時間半ぐらいでフィルストに到着しました。
南の島へ1(by buchijoyceさん)
沖永良部島へ
「南」という漢字は好きではないが、「南」という響きにはなにかわくわくするような感じを受ける。体の中に流れる血の半分に南の血が流れている所以だろう。とはいえ、人生のほとんど全部を温帯で過ごしているから、暑さは苦手だ。それでもこの時期、北へ行くよりははるかにうれしい。
私の血の半分、父は鹿児島県、母は静岡県の産である。そして私たちが生まれたのは静岡県は熱海。両親の墓は熱海にある。母が亡くなって10年になる。そこで姉妹と沖永良部に祖先の墓参りをかね、沖永良部にいる従姉妹に会ってこようということになった。姉妹で沖永良部を訪ねるのは3回目である。2回目の時は奄美大島から入ったが、いろいろ検討してみて、今度はまた鹿児島からオーソドックスな行き方をした。三姉妹と連れ合いや子ども、孫を合わせて総勢7人の旅となった。
羽田発9時半の鹿児島行きだ。私は早起きが苦手。宵っ張りならいくらでもつき合えるけど、早起きとなると。でも、今回は前泊するわけにも行かないし、仕方がない、なんとか努力しよう。
5時に起こされた。6時前に家をでた。6時14分発。電車はお見合い車両だ。山側に座って相模湾にのぼる日の出を見ていく。まだ輝かない真っ赤な日輪が海の上に昇っていく。海は穏やかな銀色で、まさに日本画の世界だ。早起きしたご褒美だ、と喜んでいる。やがて日は輝き始める。朝日って本当に美しい。しかし車両は、下から暖房が出ているとはいえ、まだ空いているので温まらないのか、寒い。
ラッシュで新橋で下りれるかどうか心配した。幸いなことに日頃ラッシュなんて体験することがない。強引に人ごみにもぐりこんで外に出る。そして浜松町までまたラッシュ。通勤に混じってどうやらモノレールに乗る。ここからはずいぶんとラクになった。
8時半過ぎに到着。チェックインを始めると他の一行が、8時前にはみな着いていたと言って合流した。姪の息子の3歳のS君に始めて会う。かわいい子だ。
右窓際に座る。飛行機から、真鶴岬がよく見えた。浜名湖あたりからだんだん雲が出てきて下界は見えなくなった。
鹿児島から沖永良部へ。32人乗りの小さなプロペラ機。以前はYS11だったと思うんだが。沖永良部まで1時間20分かかった。
こんな折だから、ざっと沖永良部を紹介してみよう。
沖永良部島は鹿児島県大島郡。鹿児島から南西諸島まで飛び石状につながる島々の中間あたりにある。鹿児島県としては最後が与論島、その手前が沖永良部島。与論島の向こうは沖縄本島である。島の地形は頂点の長い二等辺三角形に似ている。最高の山は245m、平べったい、面積94.5平方キロの島である。ハブはいない。気候は多湿・亜熱帯性で、夏から秋にかけては台風銀座となる。
歴史的には小さな島なので、人口もさしたることもなく、支配権者が出現することはなかったし、鹿児島や沖縄の支配にも対抗する力もなかった。沖永良部島のみならず、奄美の古代史は資料も少なく、解明されていないことが多い。島の先祖たちがいつごろ、どこから来てどういう暮らしをしていたかもまだわかっていない。
沖永良部島には和泊町と知名町の二つの町がある。和泊の町史を以前買って来たので、それでみると、沖縄・北山の一員である世の主が島の主になったのは1395年。そして1416年に北山が滅亡し、琉球を統一した尚氏に支配を受けることになる。琉球史では村落共同協力社会が崩壊して、支配・被支配に交代していくことになる。1609年には鹿児島・薩摩藩が琉球をくだし、奄美大島諸島を直轄地とする。薩摩藩の支配は琉球及び諸島にとっては搾取そのもの。特に砂糖地獄はすごすぎる。
島に自生するユリの栽培を始めたのは1909年(明治40年)、太平洋戦争の時、ユリは日本軍から廃棄処分という迫害を受けた、が、島のリーダーが、いずれユリが島を救う、とユリの球根をソテツの根元に隠して守った。果たしてそのユリがいまや島の基幹産業のひとつになっている。このことは和泊町の郷土資料館に紹介されている。
敗戦とともに島は鹿児島県から分離され、米軍の統治下におかれる。日本に復帰したのは1953年。沖縄県が日本に復帰するのはさらに遅れ1972年。
沖永良部は高曇り。まずはタクシーで従姉妹のM子さんの家へ。M子さんと再会を喜ぶ。それからM子さんを乗せて、先祖の墓参りに行く。この墓の作りは気に入っている。道路に面した入り口にちょっとした平地があり、野辺の送りに来た人たちはそこで別れを告げ、奥の墓所には親族だけが行くのだそうだ。葬儀は神式。
少し坂を上がると、内地と同じような墓石の立っている墓所がある。ただしここには遺骨は何にも入っていない。墓石を立てるのは内地からの指令があってのことのようだ。この墓石の後ろに珊瑚でできているような壁があり、真ん中に門がある。その門を入ると、広い芝生のような庭があり、さらに同じような門がついた壁がある。そこをぬけると、ちょっと空間があって、墓所に到着となる。岩壁を背に竜宮城みたいな形の屋根のある建物だ。中央の戸を開けると、中には祖先たちの遺骨が納められた骨壷が整然と並んでいる。
今では島も火葬になっているが、かつては沖縄と同様、風葬にして、骨になってからきれいに洗骨して骨壷に収めていた。明治になって風葬が禁止されている。この墓に参るのは3回目だが、初めてこの墓所を見たときは、この広さ、ただずまいにびっくりした。広さは200坪を下らないだろう。
親戚の人の話だと、琉球王朝に支配されていた時代、沖縄から職人を招いて、この墓を作らせたが、民間人の墓を王家のものより立派に作ったといって、職人は死罪にされたという。なんとも理不尽な話ではある。
繰り返すが、当時の島の支配者は北山の息子の世の主であった。沖縄に南山、中山、北山と三山が割拠していた時代がある。それを統一したのが中山王の尚家である。沖永良部は北山に属していた。北山は「今帰仁遺跡」(なきじん)に名残をとどめている。
山の上に世の主が祀られている世の主神社がある。世の主の墓は下にある。世の主は北山王が自害し、中山王の船が近づいたのを見るや勝ち目なしと判断して自害して果てたという。実は中山王は和睦を求めてやってきたのだったが、早とちりをしてしまったらしい。これが15世紀、室町の頃のことである。
そして1609年、江戸時代、琉球は薩摩藩に併合されてしまう。沖永良部も薩摩藩の直轄地となる。
これは本家の主から聞いた話だが、4年ごとに鹿児島から薩摩の役人が島に赴任してきた。そのつど、少しでも島によくしてもらいたいがために、役人に女性を差し出していた。そのお手つき女性は島人みんなで生涯面倒をみたそうだ。下田のお吉の話とはずいぶん違う島人の心根だ。
琉球王朝には帯刀の習慣はなかったが、本家の見せてくれた宝に簪があった。お宝は門外不出、一般には見せないのだが、一族につながる者だからと勿体をつけて見せてもらったものだ。その簪の先端は鋭くとがっていた。それは何かあった場合、自らの喉をついて自決するためだったという。
世の主の墓へ行った。娘や姪たちに二つの墓を比較させたかったからである。
そして半崎へ行った。断崖だ、波が荒々しく打ち寄せて砕けている。カモメたちがまるでイルミネーションのように並んでいる。
ソテツの林に行き、家に戻る。
3歳のSちゃんに、バナナが成っているから見せてあげると庭に出た。冬だと言うのに、紅いもの花、亜熱帯の花々がところせましと咲いている。
とそこでクモの巣に気がついた。どれもこれもチブサトゲグモ。わんさといる。写真で見ているトゲグモは背中だけで仮面みたいだが、頭が出ているので、まるで仮面が餌を捕まえたように見える。そこで何度もクモに触ってみて、仮面だけでなく頭もあるのがわかった。チブサトゲグモに会うのは旅のひとつの目的だったからさっそくに会えて大喜びだ。
先ずは着替え。暑い暑い。半袖になる。長袖は帰る日までバッグの荷物になった。
一人暮らしの従姉妹に忙しい思いをさせてはいけないと、夕食は持ち込んだ。ただ私の好きな「あおさ汁」だけは作ってくれと頼んでおいた。でも従姉妹は豚味噌も作ってくれた。台所でみんなでわいわい準備をしていると、ガラス戸にヤモリもまた集まってきた。このヤモリ、大きな声で鳴いた。へぇ〜、ここではヤモリも鳴くんだ。スリランカやタイで鳴き声は聞いたことがあるが、日本では初めてだ。それはそうだ、ここは日本といっても亜熱帯なんだ。
楽しい夕べだった。
静かな夜。暑いのに虫の声すらしない静かな夜。しかし、夜更までおしゃべりが絶えることはなかった。窓をあけっぱなして寝たが暑いくらいだった。
■スイスの旅 1/? シャモニー ■ Trip of Switzerland 1/? Chamonix(by bigwellさん)
■シャモニー⇒サース・フェーへ。
私のスイス旅行は、シャモニーからスタートしました。
目的は 1.山岳ホテルの連泊する。2.トレッキング 3.ユングフラウ三山の夕焼けを見る。です。
◇リュッフェルベルクでは、ツェルマット市街を眼下にしマッターホルンが手に取れるぐらいに肉薄している山岳ホテル・リュッフェルベルクに連泊。◇断崖絶壁にある村ミユーレンでは、高山植物が一面に咲き乱れるアルメントフーベル花の谷ハイキング。垣間見たユングフラウの幻想てきな夕焼け。など、すばらしい旅行になりました。
■ Chamonix => Saasfee
My Switzerland travel was started from Chamonix. Purpose. 1. Continuation stay is carried out in a mountains hotel. 2. Trekking
3. The evening glow of Jungfrau 3 mountain is seen.
It is continuation stay to mountains hotel Riffelberg which is pressing hard to the extent that the Zermatt street is carried out under its view and the Matterhorn can take it in a hand in Riffelberg.
The valley hike of the Allmendhubel flower to which an alpine plant blooms all over on the whole surface in village Murren in a cliff. It became wonderful travels, such as visionary evening glow of the Jungfrau whose glimpse it caught.
スイスアルプス絶景ハイキングその28ミューレンでの早朝ハイキング(by tsunetaさん)
7月19日、午前5時20分に目がさめて、5時35分にホテル玄関を出て早朝ハイキングをした。 今回のスイスアルプスハイキングでも早朝散策が習慣となっていることと、朝食はシルトホルンで取ることになっているのでミューレン出発までの時間はフリーであるから、自然と約2時間のハイキングに出かけることにした。 ミューレンでの早朝散策は始めてであるが、前回訪問しているので大体の方向地理は理解しておりとにかく、ユングフラウ三山が見れるところを目指した。
幸いなことに、約10分くらいグリュッチュアルプ方向に行ったところより、フラワートレイルという看板があり、それに習って坂を上がっていった。 ハイキング道がちゃんとしており、約35分くらい上がると林を過ぎて見晴らしの良い場所に出た。 標識があり、その標識によると約1時間行ったところがアルメントフーベルとなっていた。
後から解ったのであるが、チェインレッグという標高約1750mのところまで来ていた。 ここからユングフラウ三山やアルメントフーベル方向の景色やブライトホルン等の美しい景色を見ることが出来た。
*写真は夜明け前のユングフラウと月
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